『精神の生態学へ (下) (岩波文庫 青N604-4)』
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(著) グレゴリー・ベイトソン (翻訳) 佐藤良明
出版社 :岩波書店(2023/8/10) ISBN:4003860314
動物のコトバとは? 精神のシステムとは? 世界を「情報=差異」が変換して巡る観念の回路として定式化。進化も文明も環境も心的な相のもとに一望し、人間─社会─生態系を包みこむ壮大なヴィジョンを提示する。下巻は進化論・情報理論・エコロジー篇。イルカのコミュニケーションの分析や、「有機体+環境」「柔軟性の経済」の概念など。
"われわれがシステムを説明するとき、システム内の冗長性は、必然的に、われわれの説明間の重なり合いとして姿を現す。そうした重なりあいのない説明は、生物世界の統合の事実について十分に踏み込むことができず、説明としてどうしても不完全になる"
"実際、コミュニケートするとは、冗長性とパターンを生み出すことと同義ではないだろうか"
p144.情報でなく、冗長性でなく、かたちでなく、拘束でないものは、すべてノイズである。ノイズだけが新しいパターンを発生させる。
#書籍名
from 2025/4/16
R・D・レイン「人間は明白なことに気づくのが大変苦手」を受けて、筆者は人間が自己修正的システムであるから、と。
内部を撹乱させるもの、安定を脅かす情報が簡単に同化できる性質でないものの場合、それを見ないように、知覚しないように処理する
さらに、何が脅威なのかを決める前提もシステム自体が内部的に決定される
その前提は学習によって確立されサイバティネクスな保存機構によって変化から守られている
rashita.iconこの論点は、私たちがネガティブ・ケイパビリティのような能力をいかにすれば獲得できるのか、という点にかかわっているように思われる
2025/5/1
生きたシステム
サミュエル・バトラー『万人の道』「ハトの智慧とヘビの無害さ」を併せ持つスキナー博士
部分は全体をけっして制御できない
回路を作らない、一方向的(リニアル)な制御というものはありえない
「自分」というシステムさえ、そううまくは制御できません。たしかに人間は、不遜になったり謙虚になったりする、そういう高次元の学習ができるわけですが、しかしそれでも「魂の司令官」になれるわけではない。
システムを捉えるということは、切れ端とは違った何かを手にすることなのです。
「システム」として捉える。系全体の視点。
システム思考
パターン認識・フィードバック回路
目的意識がヒトの適用に及ぼす作用
「変われば変わるほど同じまま」フランスのことわざ
逆命題「一定であればあるほど、多くが変化している」
突然変異という形の変化が起こり続けることで、「生存」という複雑な変数の安定が得られている
学習の現象にも、社会の変化にも、同じ論理が当てはまるだろう。どちらにおいても、なんからの記述命題を「真」に保つために、他の命題が変化し続けている。
2025/5/2
2025/5/12
p.202
システムを捉えるということは、切れ端とは違った何かを手にすることなのです。
p.209まで
2025/5/14
2025/5/15
p.221 それでも、コージプスキーの思索の核心というのか、意味論の運動がその後ずっと関わってきたところを、自分なりに問題にしてきました。抽象的・形式的・哲学的思考を一方に、人間その他の生き物の自然史をもう一方に置いて、両者のぶつかり合う領域を研究する──ということに、私は久しく関わっています。
コージプスキー「地図と現地とは別物である。」
2025/6/6
ピタゴラス派とそれ以前との違い。
それは何で出来ているのか? そのパターンは何なのか?(ピタゴラス派)
ラマルクの進化論
ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』
ラマルク以前では、生命の世界の頂点に神=精神があり、そこからのヒエラルキー構造があると考えられていた
ラマルクはこれをひっくり返した。すると説明として機能していた「精神」が、説明されるべきものとなった。
2025/6/9
2025/6/12
ユング『死者への7つの語らい』
C.G.ユングを詠む(011)-神と悪魔:『死者への7つの語らい(1916)』から|コーチやめました!経営を語るユング研究者です!
死者への七つの説教
ユングは世界に二つの種類があると指摘した。二種類の違った説明の世界。グノーシズムの用語「プレローマ」と「クレアトゥーラ」。プレローマとは、力と衝撃が物事の原因となる世界であり、そこには「区切り」がない。すなわち差異がない。
クレアトゥーラでは、差異こそがはたらいて結果を生んでいる。
プレローマを研究したり記述したりはできるが、そこに現れる区切りはすべてわれわれが書き込んだもの。
シナプス加重は、AとBの加算とも捉えられるし、A and B, A and not B, not A and B, not A and not Bの中の一つとも捉えられる。これは論理積の形成で、たし算というよりは割り算的な「分類」(クラス分け)が進行している。
違いにも違いがある。複雑な違いを人間はうまく処理できない。ただしすべてが扱いにくいわけではない。
地図の図法、クラス分け=変換のルール
人間の精神にとって、このクラスの違いをきちんと認知することは、根本的な重要性を持っています。「科学と正気」という問題の核心は、実にこの点にあるのです。
これらの階層性のなかでは、それぞれのユニット──それぞれの「ゲシュタルト」──が、各段階で部分と全体の関係をなしながら積み上がっていっています。そして生物の世界では、「部分」と「全体」とが相互に情報によってはたらきかけを行うようになっている。つまり、部分で生じる差異が全体に対して作用し、全体のなかで生じる差異が部分に作用するということです。
→ #断片からの創造
2025/6/13
「一個の精神」とは何か→「わたしの精神」とは何か?
メンタル・システム
個々の精神の協会は、われわれが理解または説明しようとする現象次第で、必然的に、変わってしまうものです。いうまでもなく、メッセージの系路は皮膚の内部に限定されはしない。皮膚の外側の系路と、そこを運ばれるメッセージも、関連するかぎりは、一つのメンタル・システムの部分として含めなくてはなりません。
完結した巡回路全体を相手にするのがサイバティネクスな考え方の基本
この例に限らず、人間の行動を説明ないしは理解しようとするときには原則として、トータルな、完結した巡回路の全体を相手にしなくてはなりません。これがサイバティネクスな考え方の基本であります。
メッセージがサーキットを巡る
メッセージがサーキットを巡る──このサイバティネクス・システムの基本形は、実のところ、精神のもっとも単純なユニットの形を示しています。そしてサーキットを巡りながら次々と変換されていく差異──これを「観念」の最小単位と見なすことができる。もっと複雑なシステムの方が、たしかに「精神システム」という呼び名にはふさわしいでしょうが、それでも本質は、いまの一点に尽きる。このユニットが試行錯誤の特性を持つのであれば、正真正銘の精神システムと言えるでしょう。
→脳はシミュレーションする。シミュレーションは変更できる。
杖をついて歩いているときは、道や杖や人が作るサイクルがめぐりつづける説明を組み立てる必要がある。しかし、いったんその人がたちどまり椅子に座ってお弁当を食べはじめると、その杖や道はその精神システムからは切り離される。
記憶について
最も単純なサイバティネクスの回路も、一種の動的な記憶を持つということができます。"データ・バンク"という言い方が前提にするような、スタティックに"貯蔵"されるものとしての記憶ではなく、回路をめぐる情報の移動に基づくものとしての記憶です。
精神の姿
われわれが得た精神の姿は、サイバティネクス・システムと同義です。情報を変換し、試行錯誤する、関連サーキットの全体を単位とする存在。また、最も広く捉えた〈精神〉にはさまざまなサブシステムが階層的に積み上がっており、そのどのサブシステムも「一個の精神」と呼びうるのだという理解も得られたかと思います。
→ #断片からの創造
2025/6/14
2025/6/16
知性と感情を切り離そうとするこ、本当に恐ろしい怪物は、その行為にあります。同様に、外なる精神を内なる精神から切り離すことも、"精神"と"身体"を切り離すととも、恐ろしく、危険です。
芸術が無意識の表現であると考えるのは誤りで、芸術が関わるのは、精神過程のレベル間の関係なのです。
「形式、実体、差異」終了
2025/6/20
第五編へのコメント終了
2025/7/1
生態学的危機のダイナミクス
生命にとっての本質的な機能は、単一の変数の支配に任されてはならない
2025/7/4
読了